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高松高等裁判所 昭和48年(行コ)6号 判決

控訴人(原告) 福田豊重

被控訴人(被告) 高松税務署長

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、

「一 原判決を取消す。

二 被控訴人が、控訴人に対して昭和四一年三月三日付でなした

(1)  昭和三五年分所得税に関し、総所得金額を金三二四万六九二九円、所得税額を金九六万四〇六〇円とする再更正処分のうち、総所得金額三四万一三七五円を超える部分、及び、無申告加算税金一九万三五〇〇円の賦課処分

(2)  昭和三六年分所得税に関し、総所得金額を金一二七四万四四三二円、所得税額を金五六二万八六三〇円とする再更正処分のうち、総所得金額金五二万〇八〇五円を超える部分、及び、無申告加算税金七四万六〇〇〇円の賦課処分

(3)  昭和三七年分所得税に関し、総所得金額を金一六七万四九二五円、所得税額を金三〇万〇〇二〇円とする再更正処分のうち、総所得金額金六四万二八〇〇円を超える部分、及び、無申告加算税金一万六七〇〇円の賦課処分

をいずれも取消す。

三 被控訴人が、控訴人に対して昭和四〇年七月二〇日付で、控訴人の昭和三五年分ないし昭和三七年分の各所得税に関してなした各無申告加算税の賦課処分(昭和三五年分金四万七五〇〇円、昭和三六年分金六六万〇七五〇円、昭和三七年分金一万三二〇〇円)をいずれも取消す。

四 訴訟費用は、第一、二審共被控訴人の負担とする。」

との判決を求めた。

被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上法律上の主張、提出援用した証拠、認否は、次に訂正付加する外は、原判決事実摘示の通りであるから、これを引用する。

原判決三四枚目表九行目(別表一の第一次処分の昭和三七年の欄)の「給与所得五三一、二七五」とあるを「給与所得五三一、七二五」と訂正する。

(控訴人の主張)

一  本件各土地を譲渡して得た所得に対する税金は、訴外香川県総合開発株式会社に対して課すべきものであつて、控訴人に課すべきものではない。すなわち、

(1)  本件各土地は、訴外香川県総合開発株式会社(以下総合開発と略称する)から訴外淵崎興業株式会社外七二名の末端の買主に売却されたものであつて、控訴人は、その配下の不動産仲介業者である訴外入谷晴吉、同脇谷敏夫ら十数人の者と共に、その仲介をしたに過ぎないのである。

(2)  したがつて、右総合開発としては、右末端取得者が支払つた代金をそのまま売上収入として計上し、控訴人らに支払つた仲介手数料を経費として計上するという正しい会計処理をすべきであつたところ、その後、本件各土地のうちの大部分を仲介した入谷晴吉や脇谷敏夫らが相次いで死亡したことや、仲介人の手数料が正規の報酬規定額を上廻つて支払われたこと、さらには、訴外槇田鉄工株式会社の場合のように、本件各土地の売買代金が政治献金に使用されていたこと等の理由から、その支払つた仲介手数料について、領収証を徴することが困難であつたため、控訴人に内示した売却価格をもつて、控訴人に対する売却として会計処理をしたのである。

(3)  ところが、その後総合開発は、高松国税局調査課の矢橋係官から、右の如き会計処理の間違つていることを指摘されるに及び、前述の正しい会計処理をするとすれば、経費の立証が困難な限り、税の問題が心配されたので、当時、高松国税局を定年退職して、総合開発の税務顧問に就任したばかりの大林税理士を用いて、高松国税局の石井調査査察部長に右の問題について陳情した。その結果、調査責任者である前記矢橋係官は、総合開発が本件各土地を控訴人に売却したことを認める趣旨の原稿(甲第一号証)を自ら書き、これを総合開発の経理責任者である佐藤和大に渡したので、総合開発は、右甲第一号証の内容を承認することによつて、調査は終了し、課税されなくて済むのであれば、その内容を承諾しようと考えた。もつとも、このようにすれば、控訴人に課税される危惧があつたのであるが、この点については税務署側と密かに交渉した結果、控訴人には課税しないとの含みがあつたので、結局、総合開発は右の内容を記載した書面(乙第七号証の二)を作成してこれを税務署に提出した。

(4)  以上のような経過であつたため、高松国税局調査課も、高松税務署に対し、控訴人に関する資料を送付しなかつたのであるが、その後昭和三八年頃、会計検査院の検査があり、総合開発に課税しなければ、控訴人に課税する必要があると指摘され、高松税務署は、やむなく控訴人に課税することを決意し、昭和三五年度分については、時効完成が間近かになつていたので、控訴人が本件各土地の譲渡をしたのか、譲渡の仲介をしたのかを、充分に調査吟味しないまま、急拠、控訴人に課税したのである。

(5)  したがつて、本件各土地の売買によつて得た所得に対する課税は、総合開発に対してなすべきものであり、控訴人に対しては、控訴人が得た所得であることの明らかなものについてのみ雑所得として、課税すべきである。

二 次に、控訴人は、原処分で認定されているような利益は得ていない。

すなわち、控訴人は、前述の通り、入谷晴吉、脇谷敏夫ら十数人の不動産業者を配下にして、本件各土地の仲介をしたものであるところ、控訴人の得た利益に関する原処分の認定が正しいとすれば、控訴人は、別表(1)に記載の通り、昭和三五年ないし三八年の四年間に、税引前の利益として金五〇七五万八九二四円を、税引後の利益として金三八一〇万〇二五〇円を、それぞれ得ていることになる。しかしながら、控訴人は、真実利益を得ていなかつたため、地方税については全額、国税については別表(2)に記載の通り、滞納せざるを得なかつたのである。高松国税局徴収部は、控訴人の右滞納に対する滞納処分のため、控訴人の財産について、長期間に亘り詳細な調査をしたが、みるべき財産が出てこなかつたため、結局、控訴人が先代から受け継いだ土地建物の差押を行つて、今日に及んでいるのである。

三 次に、原処分には、控訴人の所得の種類を誤つた違法があるから、当然取消さるべきである。

すなわち、憲法三〇条は、いわゆる租税法律主義の大原則を規定しているから、立法に際しては、課税要件法定主義の原則として、納税義務者、課税物件、課税標準、課税物件の帰属、税率等の課税要件はもとより、納付、徴収等の手続についても、法律において、できる限り詳細に規定されるべきであるし、執行に際しても、税務行政の合法律性の原則が要請され、税務官庁は、税法律の規定するところに従い、厳格に租税の賦課、徴収をすることを要し、税務官庁の恣意的判断によつて、税法の解釈適用がなされてはならないのである。しかして、国税の賦課、徴収に対する国民の権利救済制度として、異議申立、審査手続、訴訟の諸制度が設けられているが、これらの制度の運用・不服申立の審理に当つては、国民の権利救済制度の趣旨から、総額主義によるのではなく、争点主義によるべきである。このことは、昭和四五年三月二四日、衆議院大蔵委員会において、国税通則法が審議された際、「政府は、国税不服審判所の運営にあたつて、その使命が、納税者の権利救済にあることに則り、総額主義に偏することなく、争点主義の精神を生かし、その趣旨徹底に遺憾なきことを期すべきである。」との付帯決議がなされていることからも明らかである。ところで本件において、原処分は、所得の種類(課税標準)を誤り、雑所得に属すべきものを、譲渡所得としたが、これは、税金さえ取ればよいという恣意的態度に出た結果である。国民は、法律の定めるところによらなければ納税の義務を負わないのであつて、この国民の人権保障的意義は、充分生かされなければならない。よつて所得の種類を誤つた違法のある原処分は取消さるべきである。

(被控訴人の主張)

一  控訴人主張の一の事実のうち、矢橋係官が甲第一号証を作成してこれを総合開発の経理責任者である佐藤に渡したこと、及び、総合開発がこれに基づいて乙第七号証の二の書面を作成したことは認める、総合開発が矢橋係官からその会計事務が間違つていることを指摘され、大林税理士を用いて、高松国税局の石井調査部長に控訴人の主張の如き陳情をしたことは不知、その余の事実はすべて争う。

同二の事実のうち、原処分の認定したところによれば、控訴人主張の四年間の利益が控訴人主張の通りになること、控訴人がその主張の如く税金を滞納したため、高松国税局徴収部が控訴人主張の土地建物を差押えたこと、以上の事実は認めるが、その余の事実は争う。

同三の主張は争う。

二  控訴人は、総合開発から一旦本件各土地の譲渡を受けた上、自己の資産としてこれを売却したものであつて、単に右売却の仲介をしたものではない。

仮りに、控訴人がその主張の如く本件各土地売却の仲介者に当るとしても、控訴人は、本件各土地の買主から原判決添付別表三の譲渡価格欄記載の金額を受け取り、そのなかから右同表の取得価額欄記載の金額を総合開発に交付し、その差額を利得しているから、右利得が事業所得ないし雑所得として、課税の対象となるのである。

(証拠)〈省略〉

理由

一  当裁判所も、控訴人の本訴請求は理由がないと判断するものであつて、その理由は、以下に訂正付加する外は、原判決理由に記載の通りであるから、これを引用する。

原判決一六枚目表六行目の「真正に成立」とある次に、「(乙第九号証の一二ないし一四については各原本の存在及びその真正に成立したことを含む)」と挿入し、同裏五行目の目「高畑武弐」とある次に「第一、二回」と挿入し、同一八枚目表三行目の「かえつて、」とある次に、「原本の存在及びその」と挿入し、同九行目の「(昭和三一年頃)」とある次に、「高松市」と挿入し、同二三枚目表二行目の「使用し」とある次に、「ていたことが認められるし」と挿入し、同二七枚目裏三行目の「乙第一一号証」とある部分を削り、同所に「乙第一七号証」と挿入し、同四行目の「乙第一二号証」とある部分を削り、同所に「弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる乙第四二号証の一、二」と挿入し、同四九枚目表末行(別表六の36の番号の順)及び同裏一行目(右同表の37の番号の欄)の各「五六、四四七」とあるを各「五六、四七七」と訂正する。

以上の認定判断に反する当審証人植松進、同真砂光延、同池内浅市、同有岡定行の各証言及び控訴人本人尋問の結果はいずれもたやすく信用できない。

二  控訴人は、当審でも種々の事情をあげ、原判決添付別表三に記載の本件各土地を譲渡して得た所得に対する税金は、訴外香川県総合開発株式会社(総合開発)に対して課すべきであつて、控訴人に対して課すべきではないと主張しているところ、成程、控訴人は、本件各土地の売買の仲介をしたのみであつて、総合開発から本件各土地の譲渡を受けた上、これを各末端の買主に売却したものでないことはさきに認定した通り(原判決一四枚目裏一行目から同二〇枚目裏八行目までであるが、前記認定の通り(原判決二三枚目裏一〇行目から同三一枚目表九行目までに記載の通り)、控訴人は、本件各土地の売買の仲介をして、本件各土地を原判決添付別表三に記載の各買主に、31、32、46、47の各土地については右表の「取得価額」欄記載の金額で、また、その他の各土地についてはいずれも右表の「譲渡価額」欄記載の各金額で、それぞれ売却することの仲介をなし、その各買主から右各売買代金(その合計は、金一億二〇三五万八九八七円)を受け取り、総合開発に対しては、そのうち右別表三の「取得価額」欄に記載の金額(その合計額は金八七三〇万九二六〇円)を納入したに過ぎないのであるから、控訴人は、右各買主から受けとつた金額と総合開発に納入した金額との差額(合計金三三〇四万九七二七円)相当の収入を得たものであつて、総合開発が右収入を得たものではないというべきである。よつて、本件各土地の売買の仲介をすることによつて得られた収入に対する所得税は、控訴人に対して課すべきであつて、総合開発に対して課すべきではないから、右の点に関する控訴人の主張は失当である。

三  次に、控訴人は、本件各土地の売買の仲介により、原処分ないしは前記認定のような所得を得ていないと主張しているが、控訴人は、本件各土地の売買の仲介をして、その各買主から、昭和三五年度分として計金二八六二万二三三〇円、同三六年度分として計金八六四四万二五三七円、同三七年度分として金五二九万四一二〇円、以上合計金一億二〇三五万八九八七円を受け取りながら、総合開発に対しては、昭和三五年度分としては計金二二五二万一九六〇円、同三六年度分として計金六一七八万四三八〇円、同三七年度分として計金三〇〇万二九二〇円、以上合計金八七三〇万九二六〇円を納入したに過ぎず、また、控訴人は、本件各土地の売買の仲介に当り約三〇名の仲介人を使用し、その手数料として、昭和三五年度分は計金一一九万三九二一円、同三六年度分は計金三九六万八六三一円、同三七年度分は計金三一万七六四七円、以上合計金五四八万〇一九九円(原判決添付別表六参照)を支払つた以外に、控訴人が右仲介に当り経費を要したことを認め得る適確な証拠はないから、(この点に関する原審(第一、二回)及び当審における控訴人本人尋問の結果はいずれもたやすく信用できない)、他に特段の事情の認められない本件においては、結局、控訴人は、本件各土地の仲介により、昭和三五年度は金四九〇万六四四九円、同三六年度は金二〇六八万九五二六円、同三七年度は金一九七万三五五三円、以上合計金二七五六万九五二八円(原判決添付別表七参照)の事業所得を得たものというべきである。なお、控訴人の得た右の如き多額の所得は、その後控訴人が自ずからこれを消費し、或は、他に処分すること等もあり得るのであつて、必ずしも現存しているわけのものでもないから、控訴人がその主張の如く地方税及び国税を滞納し、現在他に見るべき資産を有せず、控訴人がその先代から受け継いだ土地建物に対し、高松国税局徴収部から滞納処分を受けているからといつて、そのことが必ずしも前述の如き多額の所得の認定を妨げるものでないことは勿論である。よつて、右の点に関する控訴人の主張は失当である。

四  次に、控訴人は、被控訴人は控訴人の前記所得を譲渡所得と認定して本件課税処分をしたが、控訴人の前記所得は、譲渡所得ではなく、雑所得であつて、本件課税処分には所得の種類を誤つた違法があるから、本件課税処分はこの点において取消さるべきであると主張しているところ、控訴人が本件各土地の売買の仲介をすることによつて得た所得の種類は、事業所得であつて譲渡所得でもなければ雑所得でもなく、また、被控訴人が控訴人の右事業所得に対し、これを譲渡所得として本件課税処分をしたことはさきに認定した通りである。しかしながら、所得税は、事業所得、譲渡所得、利子所得、配当所得、不動産所得、給与所得、雑所得等の各種の所得の総合計額(総所得金額)に対して、その額に応じた一定の税率を乗ずる等の方法により算出した額を税額として課税されるものであり(昭和三五年ないし同三七年当時施行の所得税法一三条参照)、納税者の得た個々の所得の種類の認定に誤りがあつても、その課税の対象とされる総所得金額及び税額が減少しない限り、納税義務者に実質的な不利益を及ぼすことはないから、右所得の種類の認定に誤りがあるからといつて、これを理由にその課税処分を取消すことは相当でないと解すべく、課税処分の取消訴訟において全面的に控訴人主張のいわゆる争点主義によるのは相当ではないと解すべきである。これを本件についてみるに、控訴人の得た前記収入による所得を、譲渡所得とみるにせよ、或は、事業所得とみるにせよ、控訴人は、本件各土地の売買に関与することによつて前述の収入を得たものであつて、その収入をもたらした行為は社会的に彼此同一であるといえるし、また、譲渡所得金額は、資産の譲渡による総収入から、その資産の取得費、設備費及び譲渡に関する経費を控除したものであつて、そのうち課税の対象とされるのは、右譲渡所得金額から金一五万円を控除した残額の一〇の五であるのに対し(昭和二二年法律第二七号による旧所得税法九条一項八号参照)、事業所得金額は、事業による収入のうちから必要経費を控除したものであつて、右事業所得金額はその全額について課税されるものであるところ(右同法九条一項四号参照)、本件においては、前述の通り、控訴人が得た前記収入による所得を事業所得とした場合に課税の対象とされる額は、昭和三五年度は金四九〇万六四四六円、昭和三六年度は金二〇六八万九五二六円、昭和三七年度は金一九七万三五五三円であるのに対し、右所得を譲渡所得とした場合に課税の対象とされる額は、昭和三五年度は金二三七万八二二四円、昭和三六年度は金一〇二六万九七六三円、昭和三七年度は金九一万一七七六円であつて、右控訴人の得た収入につき、これを譲渡所得とした場合よりも、事業所得とした場合の方が、その課税の対象とされる額、及び、控訴人の総所得金額が多くなり、その税額も高くなるから、事業所得を譲渡所得と誤つた右所得の種類の認定の誤りを理由に、本件課税処分を取消すべきではないというべきである。なお、控訴人主張の租税法律主義は、納税義務者、課税物件、課税物件の帰属、税率等の課税要件はもとより、納付、徴収等の手続についても、これを法律においてできる限り、詳細に規定されなければならず、また、税務行政を行う税務官庁は、税法律の規定するところにしたがつて、厳格に租税の賦課徴収をしなければならない原則等を広く指称するものであるが、本件において所得の種類の認定を誤つた場合につき前述の如き解釈をとつたからといつて、右の意味における租税法律主義に反するものでないことは勿論である。よつて、右の点に関する控訴人の主張も失当である。

五  よつて、控訴人の本訴請求を排斥した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用につき民訴法九五条八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 秋山正雄 後藤勇 辰巳和男)

別表〈省略〉

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